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2015/09/28
稽古場日誌【客席編】…中村彩乃(役者) 受けについて

今晩は、中村彩乃です。
今宵はスーパームーンのようです。

遅くなりましたが、先日は久々の稽古でした。日が空いた稽古は面白いもので。良い意味で、前回の稽古を引きずらずにリセット出来る(反省は勿論しますが)ため、新しいことに挑戦しやすく感じます。ただ、そのためには準備が大切で。準備…。固めてしまわずに自由でいるための準備といいますか。それを蔑ろにしたくないなと思います。

稽古の中盤、私の「最近の目下の課題は、受けることです!」と言ったことに関して、少し受けの芝居について話しました。
それというのも、芝居中に、相手の台詞に被して、自分本意な芝居(行動)をしてしまいまして。そこから色々受けについて考えました。

見る、聞く、感じる等々、様々な感覚はあります。それらのバランスというか、それらを受けて、自分の芝居(行動)があって相手に返すまで、それで初めて「受け」なのかなと。
少し現段階で、この件について考えが纏まってないのと、もう少し考えたいこともあり、いつもより、より纏まりのない文章になりましたが、
今後の稽古(というか、演劇をするうえ)で少ずつ重ねていきたい課題というか、目標であります。

なんとなく、芝居を「積む」という感覚に、最近なってきました。
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2015/09/22
稽古場日誌【舞台編】…吉本尚加(制作助手)自分の意志とは


こんばんは、吉本尚加です。
遅くなってしまったのですが、16日に京都で行われました稽古に参加して参りました。

~しながら喋ること、話すことの目的、その行動で生まれる構図、目的。
普段は意識なんてせずにしている様々なことが稽古場では浮き彫りになっていきます。
不思議なことにそれらは一度意識して近付こうとすればするほど遠ざかっていくようです。
それでは、ということで一度思い切り大げさにやってみてはどうかということになりました。
すると、それをそのまま続けていくうちにそこから受け取る印象がどんどんと異なっていきます。何だか台詞の一つ一つが、言葉が、観ていて「その人の体に馴染んでいっている」ようです。

また、そうしているうちに諸江さんにも変化が現れました。
久野さん曰く「今の大げさな方が先ほどまでの演技よりやわらかく感じる」とのこと。
それについてもその場にいた全員で理由を考えてみたのですが、
・楽しそうだから
・自分の身体がここにあるということについてポジティブに捉えられているから
・(次に何をするかについて考えているために)自分が喋る時のことを相手が話している間に考えているから
ではないか?という所から、

(喋らされているのではなく、)自分で喋っている感じがするから言葉や体を裏切っている感が無い

という所にたどり着きました。
以前、客席編の稽古場で「とても良かった役者に今何をしていたの?と聞くと大抵『何も考えていなかった』と返される」、というような話になったことがありました。
私達は普段夢中で生きています。「こんな風に喋ってやろう」「これをしたら次はああいう風に動こう」とか考えながら会話したり動いたりすることなんてほとんど無いのではないか、と思います。
今回の稽古で改めてそのことを実感すると共に、人間の体というものはとても正直なものなのだなと再認識しました。
普段と違ったことをその上で自然にやろうとした時の違和感のようなものも、発信する側が伝えることを楽しんでいるときもまっすぐに受け手にそのことを伝えてくるのは何よりもまず発信する側の体なのだなと。
そうして諸江さんの起こされる化学反応が今後どのように作用していくのか、楽しみに見届けたいと思います。

2015/09/18
階ネットショップ「階マート」ができました

このたび、チケットと階グッズ・台本などをまとめて購入いただけるインターネットショップ「階マート」をオープンいたしました。
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2015/09/15
稽古場日誌【客席編】…七井悠(役者) 慣れてしまっていること

少し遅くなりましたが、9月10日の稽古場日記を。

この日の稽古も前回と同じように、お互いに台詞あわせをするところから入っていきました。
何回か通したり、返したりしているうちに、自分(七井)の反応や台詞の発語の仕方がちょっとずつ大仰な
ものになっていることに気がつきました(正確には稽古後久野さんと話して、より自覚したのですが)。
台詞はつっかえずに出てくるのに、中村さんの言葉と演技にかみ合っていないと言うか。

この現象は何なのでしょう。

おそらく、前回の「缶の階 客席編」での演技を、体が覚えていてその反応をなぞってしまっているのでは
ないか、と考えています。相手が発してくる台詞は同じでも、ニュアンスや体の状態、そもそも台詞を言っている
当人が違う人なのですから、前回と同じになるはずがないのです。
その辺までの微妙な差異を、きちんと汲み取ってゆくことが必要だと気づきました。

前とは違うものを・・・ と考えていたつもりでも、どうしても自分に残っているものを使ってしまうようです。

何を手がかりに変化や新鮮さを作ってゆくのか・・・。

とりあえず、台本が外国語が書かれている と言うような気持ちで読んでいこうと思っています。 

2015/09/14
稽古場日誌【客席編】…中村彩乃(役者) 余白のある芝居

今日は、中村彩乃です。暑さも和らぎ、過ごしやすい気温になって参りました。如何御過ごしでしょうか。

先日の稽古は、京都で行いました。前回の稽古からあまりたっていなかったのですが、日数というか、一分でも時間たてば人間は当然のごとく何か変わるため、また違った状態で稽古が出来ました。

久野さんからお題をいただいての稽古は、
・劇場にこいつ来ねーだろうなというちょっと常識外れの人
をしてみました。 重要なのは、ここでの常識とは、世間一般でなく、演劇界での常識です。
「その人の常識」は、人それぞれの持ち合わせてる価値観によって変わるものでしょうから、自分の持ち得ない常識のもとで動くというのは自分の価値観を外れた動きにつながることになり、興味深いです。新しい発見の積み上げは、何処で使えるかわからないですから、大事にしたいと思います。

また、個人的な感覚ですが、脚本とそして久野さんの演出は、余白があります。自由とはちょっと違います。決まっている台詞(脚本)とそれを媒体にする役者との距離に、常に余白があるため、それを埋めるのに役者が自由になれるといいますか。その余白に何か私一人ががっちり作り込んだものを埋め込んでも面白くありませんし、そもそも型があるわけでないため、決め込むのは出来ません。久野さんの言葉や七井さんの芝居を受けて、どういう風に埋めようか、粘土のように捏ね繰り回していく過程が、この現場では必要なのかなと。
そんなことを考えました。

2015/09/09
稽古場日誌【舞台編】…森田深志(演出助手)、各々の言葉

9/8(水)曇り、台風通過。
今日の稽古内容は、「自分の言葉ではない、登場人物の言葉との折り合いのつけ方」と「相手を見て聞いて話すこと」でした。
台詞って普段は自分が使わない語尾だとか言い回しだとかが平気で出てきます。説明的な台詞であればなおのことです。では、外国語を取得する際にネイティヴに近づけようとする作業のように、台詞を日常会話に近づけるにはどうすればよいのでしょうか。

相手を見て聞いて話すことを舞台上で素直にやる為には、稽古場でいろいろ考えた上で様々な引き出しを用意する必要があります。これは多分刺激クラスを反応クラスにレベルを上げることと似ているのだと思います。例えば、「赤」という概念を説明する時にはどのようにすればよいでしょうか。実際に赤いものを指差してこの色だと言うのが手っ取り早いと思います。「イチゴを見せる」「赤い車を見せる」「コカ・コーラの缶を見せる」など。しかしこれでは「イチゴ=赤」「赤い車=赤」「コカ・コーラの缶=赤」ということしかわかりません。これが刺激クラスです。そしてこの刺激クラスが蓄積されて自分の中に「赤とはこのようなものか」と弁別できるようになってきます。ここでようやく、教わっていない「ポストの色が赤だ」ということが分かるようになります。これが反応クラスです。
つまり、答えの集合体を作ってしまえば、応用が利いて何が起こっても答えられるようになるということです。これは舞台上でも同じで、稽古とは引き出しの集合体を作ることなのではないかと考えています。

今日は、日常ではしないであろう癖を意識して直(治?)す作業もしました。諸江さん(役者)は指摘された癖をすぐ自覚できるところが本当にすごいと思いました。

森田

2015/09/09
稽古場日誌【客席編】…中村彩乃(役者) 誰かになること

今晩はです。中村です。

昨日は大きな部屋ででの稽古でした。音の反響や空間の使い方が違うと、当然のことですが芝居も変わるようで。

今回の稽古では、前回現れた「劇場という場にそぐわない、そもそも演劇というジャンルが自分の中に無い人(岡崎さんと命名)」をしてみようということでしたが、なかなかその岡崎さんは現れず、次回以降の持ち越しとなりました。
代わりに、久野さんから色々やってみようということで、
・声を低くだす
・ネコ
・嫌いな人
など、様々な試みが出来ました。

また、台詞を言うなかで思ったことではないのですが、役者自身の体調や気分の影響についての話題が上がり、それについてもかんがえていました。

以前は、役者さんが役者自身の何かを舞台にのせることに違和感を持っていました。しかし、最近は、その情報もひとつの構成要素ではないかと思うようになりました。
例えば、登場人物は、相手と話をしています。では、役者は何をしているのか。多分役者も相手と対話をしています。その「相手」というのが、登場人物なのか役者なのか、また、登場人物の中に役者がいるのか、役者が登場人物を纏っているのか、この感覚は人それぞれだと思います。
私は、どちらともつかないのですが、少なくとも役者自身(の身体や気持ち)を切り離してするということより、この現場では、それらの状態がどのように作用するかを、決めつけずに見届けて受け止めることが大切なのでは無いかと考えました。

先ずは素直に。いきたいと思います。

2015/09/02
稽古場日誌【客席編】・・・七井悠(出演)変化すること

9月2日、本日京都にて稽古。
最初に、お互い適当な(自由な)感じでの台詞あわせで頭から最後まで通しをして、その後は久野さんからの提起で、おかれているシチュエーション(椅子がおいてある)、やキャラクターの特徴をある方向に特化させて(石、キザでクール、舞台監督など)演技をしてみるという稽古をしました。

再演はやはり、前回自分がやった事との向き合いというか闘い?だと感じました。与えられた状況で変化をつけているつもりでも、自分が拠り所にしている「台詞」は変わらないので、それをしゃべっている感覚が、前回の演技に引きずられている訳で。いろんなものが自分にくっついているのでしょう。残したほうがいいものもあるし、取っ払ってしまったほうがよいものもあるでしょう。
それらをどうやって感じながら稽古をしてゆくのか。

舞台に立っている2人は、ちょっと複雑な関係(演じている役、俳優個人、役を演じている自分等・・)を含みながら
相手を見つつ演技しているのではないかと。そこで出てくる変化する可能性を、掬ってゆく稽古にしたいです。

2015/09/02
カッコー掲示板、はじめました


Recycle缶の階からのお知らせです。
今回の階の公演、「話すのなら、今ここにないもののことを話したかった。今ここにないものの話ばかりしようと思った。」には様々なキーワードとも言える言葉が登場します。月。椅子。缶。ヒーロー。劇場etc…
これらの言葉に寄せるコメントやコラムを書いてみませんか?内容は舞台や演劇に関するものでなくてかまいません。字数も長短問いません。あなたの中のそれらについての思い出やそれにまつわる言葉、気持ちを思う存分書き出してください。
寄せられたコメントはこちらで公開させていただければと思います!
最後になってしまいましたが、心より皆様の応募をお待ちしております!

【作品からのお題】
「劇場」「ヒーロー」「言葉」「三日月/オリオン」「誰もいない森で、木が倒れた。その時、音はするのか…」「椅子」「俳優」「観客」「始まり/終わり」「嘘」

※ご投稿いただきました文章は、Recycle缶の階の広報物、SNSなどに掲載させていただくことがございます。お名前はご本名でも匿名でも構いませんので、公表OKのお名前でお願いいたします。
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例)やまねこ(水産関係) 例)こおろぎ(星を見るのが好き)

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